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英語が話せない、聞き取れない理由

内容が多少難しく理屈っぽいので、
ほとんどの人は無視していただいて構いません。
下記を読まなくても、tekoで楽しくえいごを学ぶことができます。
興味のある方のみ読み進めてください。

話せない!聞き取れない!

英語はなぜ話せないのでしょうか?なぜ聞き取れないのでしょうか?何年も勉強したのに一言も話せない、という話は非常によく聞きます。

単純な理由でなく、総合的なアプローチで解明していきます。ものすごくたくさんの現象が複雑にからみ合っていますが、1つずつひも解いていきましょう。「あきらめた方がよい部分」と「がんばれる部分」が存在します。自分と英語の「正確な距離」を知って、明確な目的意識で楽しく英語を話しましょう。
※以下は、あくまでteko㈱の見解です。

英語の上達のためにやることが多すぎる 英語の上達のためにやることが多すぎる

英語がいやになるのは?
知らなければならないルールとマスターしなければならない技術が最初に想像していた以上に多いからでしょう。

単語、熟語、リーディング、スピーキング、ライティング、文法、外国文化的の背景の理解…
多すぎる母音や子音の発音、先の長い文法、知っている単語でも聞き取りづらいリスニング、発音時の口の技術…舌の位置、唇、歯、息の量。
英語上達には1000時間の勉強時間が必要という情報
英語上達には100万語を読むべきだという意見

これをすべて丹念にこなすには膨大な時間と忍耐力が必要で、それを実行できる方はすばらしい人です。逆を言いますと、多くの人がなかなかできることではありません。量が多いので、先に進むことよりも「何が重要か」を見極め、まず「英語の核」をがっちりと固めることが重要となってきます。

英語の勉強法に迷う時間が長い 英語の勉強法に迷う時間が長い

英語にはさまざまなアプローチ方法があります。世の中にはすばらしい学習法や参考書が多すぎるので、自分に何が合っているのか?を選び、迷う時間に多くを費やしています。一度選んで勉強していても、「果たしてこの方法が正しいのかどうかが不安な状態で勉強を進めている」ということもよくあります。「これ1つ」としぼって集中することで効果が出ますが、目移りしながらなかなか効果があがらないことも多いです。迷っているうちに時間が経ち、思ったように上達せず、英語への情熱は次第に薄れいきます。

参考書、勉強法を探す

しっくりこない

集中がとぎれる

身に付かないまま他の良い教材を探す

この繰り返しで時間を浪費する

英語にすばらしい教材が多すぎることが、かえって集中をさまたげてしまうとうこともあるようです。選択肢が多すぎてどれが自分に合っているかがわからない、誰か教えてくれ~!というのが正直なところではないでしょうか?

先へ進むことが重視されている 先へ進むことが重視されている

長年英語を勉強しても身に付かないのは、「身に付いていないから」です。当たり前ですね。「知ること」と「身につける」ことには大きな違いがあります。

これはわかりきっている・当然知っていると自分で思っているようなものすごく簡単なことでもいざ話そうとすると「使えない」ものです。使える英語は、自分が思っているより非常に少ない量だと思います。たとえば、自転車を乗る技術は、一度覚えると一生忘れないですよね?そこまで深いレベルで自分の血肉になっています。その「自転車に乗る」レベルまで身に付けずに、「ただ知るだけ」で先へ進むと、そのうち完全に忘れて、そこまでにかけた学習時間はムダになってしまいます。

わかっている・知っている

でも使えない

知らないも同然

この「知っているだけの状態」を「使える」「一生忘れない」レベルに持ち上げなければなりません。

教育の評価基準が「実際に英語を話すこと」「多少間違っていても運用すること」であればよいのですが、それでは評価が曖昧にならざるをえません。評価しようとしても、時間と人員が多く必要となり、現実的にも難しいです。そういった評価する側の都合もあり、どうしてもテストや受験で「間違いがあったら減点する」という評価基準になってしまいます。そのための問題が作成されるので、学習者はその対策として「間違わないための勉強」にならざるをえません。

かなりの学習の分量があるので、学校や塾はカリキュラムに沿って時間内に「先へ進め」なければなりません。その状況が長く続き、当たり前となり、需要と供給も一致しているので、世の中全体が「先へ進むこと」「知る・理解すること」重視型になっています。正しい英語(アカデミックな英語)を身につけることはもちろん重要ですが、「限られた単語を巧みに・高速に操る」という会話の真髄にはなかなか届きづらいのも事実です。

「知ること・深い理解重視」の学習は後々じわじわと効いてくる「遅効性」の知識で、ハイクラスな英語世界で生きていくには不可欠な知識ではあります。ただ、「話したい」「楽しみたい」という即効性の欲求には応えづらい面が強いでしょう。このような英語教育の状況は年々改善されてはいくでしょうが、これは仕方のない面もあります。入学・入社・転職の可否を判断するためには、やはり客観的な評価・点数をつけて優劣をつけなければならないのですから。

こういった大きな英語教育問題を嘆くことよりも、どうしたら使えるようになるかに集中した方がよいでしょう。

tekoでは、進むよりも「進まないこと」を重視するという思い切ったやり方を採用しています。極端に狭い範囲にしぼって、手足となるまで繰り返します。くりかえしが飽きないように、アートを持ち込んでいます。一生忘れない・手足になるまで先へ進まないという「思い切り体験」をご用意しました。

日本語と英語には大きな違いがある 日本語と英語には大きな違いがある

おおざっぱではありますが、言語的な違いを簡単に挙げてみましょう。

英語は子音が重要な言語で強く発音されますが、日本語は母音中心の言語なので子音をうまく感じ取ることができません。赤ちゃんのころから8歳ごろまでで脳の中に形成される言語のセンサー(神経)がありますが、その感度(感じとろうとする対象)が大きく違っています。日本人にとって、英語で重要な子音は雑音となり、日本語で重要な母音はほとんど聞こえないくらいに弱まることが多く、聞き取ることも発音することも非常に壁が高いです。子音中心、母音中心などの違いから実際に周波数も異なるので、耳が物理的にうまく処理できないという現象も起きてしまいます。文章の中で最も重要な動詞が、その重要さとは裏腹に「ため息のように」サラッとつぶやかれるだけでほとんど聞こえないときがありますが、それは意地悪でもなんでもなく、日本人に聞き取りづらいというだけです。
また、息を短く切る日本語と違い息の勢いを利用する英語は、「単語と単語の音がつながっていく」傾向が強いです。よく知っている単語も文章の中で前後の単語とつながれてしまのでチンプンカンプンになってしまいます。

英語は、日本人にとって非常に相性の悪い言葉なのです。

英語には「てにをは」がない 英語には「てにをは」がない

英語の上達を妨げる日本語との大きな違いをもう1つ挙げましょう。それは、英語が「ならべる順番に敏感な言語」だということです。日本語は「構造(カタチ、言葉の順番)の自由度が高い言語です。

主語がなくても成立する…昨日、サッカーをした。
動詞がなくても成立する…空は青い、海は広い
順番を入れ替えても成立する…彼にプレゼントを渡した=プレゼントを彼に渡した などなど

しかし英語には主語と動詞が必ず必要であり、しかも並べる順番が決まっていて、違う並べ方にすると途端に意味が通じなくなります。
I like it →  like I it
そして、ここが最も重要な点ですが、日本語には「ここは主語」「ここは目的語」などがわかるための助詞「てにをは」という便利な道具が存在しているのす。「私は」「私が」などのようにい「は」や「が」があれば主語、「彼に」「プレゼントを」などのように「に」「を」があれば目的語と非常にわかりやすく、またその「てにをは」のおかげで位置をある程度自由に変更でき、意味も問題なく通じます。英語の場合はそうはいきません。「てにをは」がないので、順番を変えると何が何だかわからなくなります。逆を言えば、目には見えない「並べる順番ルール」があり、その通りに並べていく必要があります。「目には見えない」ということは、そのルールをあらかじめしっかり理解しておき、その型に合わせて言葉を並べていく必要があります。その「目に見えないルール」の基礎をきちんと積み上げていないと、いつまでたっても話せない・聞き取れないという現象が起こります。

I gave him a present (私は彼にプレゼントを渡した)

何の目印もなく、単なる単語の羅列です。「は」も「に」も「を」もありません。I / gave / him / a present.のようには書きませんし、区切りの部分でいちいち間をあけて話してもくれません。きちんとした「並べ方のルール」を知らなければ、読む時はもちろん耳で聞いたときにはさらに理解が難しくなります。主語がどこまでで、どれが動詞で、形容詞が、目的語が、副詞が…などを聞いた瞬間に区分けできなければなりません。「並べ方のルール」があらかじめ頭の中にできあがっていると、聞こえる言葉がその「型」にはまっていき、スムーズに理解することができます。「英語の並べ方」を知ることへの意識が強くないと、長年勉強を続けても上達のスピードは上がっていきません。

そしてもう1つ、重要なことがあります。並べる順番ルールが目に見えないこと合わせて、単語の羅列の中で「2語以上の言葉」のどこからどこまでが「1つの意味のかたまり」なのか?が日本人には理解しづらいということです。

I get up early→I / get up / early. 私は早起きだ
I was pretty when I was child. →I / was/ pretty /
『when / I / was / child 』 私が子供だったころは、かわいかったんです。
I don't know what you mean.→I / don't / know /
『what you mean』 あなたが言いたいことがわからない。

「up early」「pretty when」「know what you」が1つの意味のかたまりだと判断してしまうと、意味をとることができません。「かたまり」を作るルールをきちんと学び、「get up」、「when I was child」、「what you mean」が1つの「かたまり」に見える・聞こえる必要があります。並べる順番ルールがわかっても、並べるための言葉のパーツ=言葉のひとまとまりの範囲がどこからどこまでなのか?がわからないと並べていくことができません。

以上までの2つをまとめますと、

目印のない単なる単語の羅列が「並べる順番のルール」「かたまりを作るルール」の2つを知ることで理解できるようになる

ということになります。この日本語との大きな違いを強く意識し学んでいくと、話せる・聞き取れるという状態に近づいていくことができます。

tekoでは、並べる順番ルールを「ルナベラ」、かたまりを作るルールを「カタクリコ」として、重点を置きながらも楽しさ第一で少しずつ学んでいきます。

そもそも「話せる」とは?ペラペラとは? そもそも「話せる」とは?ペラペラとは?

ネイティヴは赤ちゃんの頃から10年20年と英語を積み重ねます。母国語なのですから、当たり前ですね。しかも何も情報のないスポンジ脳で吸収していきます。5歳でもすでに5年。日本人の大人が、5歳児の英語力にもかなわないということが普通です。

私たちが思う「話したい」「ペラペラ」とは、どのような状態でしょうか?

その基準をネイティヴに置いてしまうと、過酷で無謀な戦いになってしまいます。母国語でない言語を話す際、「発音、ボキャブラリー、表現力などにかなりの制限があり、それは当たり前」という前提が必要です。「ネイティヴ並みにペラペラ」という呪縛から解放され、制限つきを楽しむという方向性が現実的ではないでしょうか?

英語という暗号・合言葉 英語という暗号・合言葉

英語といっても、かなり多くの種類があります。

■日常的な分野…会話、テレビドラマ、映画
■アカデミックな分野…大学受験、TOEIC、TOEFL、新聞、
ニュース、小説
■ビジネス…社内のやりとり、取引先との商談

日本人は、基本的にアカデミックな分野の英語を勉強します。もちろん、それは間違いではありません。丁寧で正しい英語を学ぶべきです。ただ、多くの方々の頭の中での「話したい」に含まれているものは、おそらく日常的でナチュラルにリラックスして話す、ドラマや映画を理解するなどといったイメージが強いのではないでしょうか?そこには、アカデミックな分野とは大きく異なる独自のルールが存在しています。

まず前提としまして、英語は言語の特性上「音の数」が多様なのでその微妙な音の違いで言葉(の意味)を区別しています。日本語は「はし」というと、「橋」「箸」「端」、「さく」というと「作」「策」「咲く」「裂く」「割く」「柵」など、その音に対してさまざまな可能性があり、文脈で想像しながら理解していく「聞き手の想像力重視」の言語です。それに対し英語は音の数が多いので、微妙な音の違いで言葉を言い分けており、「音を聞けばすぐに意味がわかる」=「話し手の発音能力が重要」な言語です。ですので、音の聞き分け・言い分けが重要ですが、日本人はそれとは正反対の音数の少ない日本語を使っているので、話すことも聞き取ることもかなり難しいのです。英語は、意味の違いを微妙な音の違いで伝えているということになります。

ただでさえ音の違いの区別が重要なのですが、さらにその上、日常には「手加減のない英語」が存在しています。

それは「音の崩れ」と「音のおぎない」です。

お互いがネイティヴで、そのことを「前提」にして音を崩し、省略し、つなげたり、くっつけたりしています。純粋に音だけでは理解できないものも数多く存在しています。それは、日本語で考えればわかりやすいです。

「ありがとうございます」→「アザーッス」
「いらっしゃいませ」→「シャーセー」
「さむい」→「サミーッ」
「うまい」→「ウメッ」

純粋に音だけを聞くと理解はできませんが、日本で生きてきて、お互い状況や経験が十分ありそれを暗黙の了解として崩しているのです。その崩した音そのままをまともに聞きとるのではなく、聞こえた音から経験と照らし合わせて「正しい音をおぎない」、「頭の中にすでにある正しい情報」に修正してしまう非常に高度な高等技術をナチュラルにこなしています。

音が崩れるのは、「口の都合です」。
日常の中で明確に的確に口を動かすのは疲れるし面倒くさいので、それに近しいところまでしか動かしません。そんな崩れた音でも相手は「おぎなって」理解してくれるので、容赦なくあいまいな音で「口を省エネ」させていきます。

「ありがとうございます」→きちんと口を動かすのは面倒なので口の動きを最低限に崩し省略して「アザーッス」→「アザーッス」という純粋な音でけでは通常意味はわからない→相手はその音と状況から正しい音を補って「ありがとうございます」と理解

これは「母国語を深く理解し、正しい音と知識がインプットされていること」を前提に展開される非常に特殊な状況であり、かつそれが母国での「平凡な」日常です。さて、それを英語に置き変えてみてください…恐ろしいですね。

ネイティヴ同士の平凡な日常は、
こういった尋常じゃない「音の崩れ」と「音のおぎない」が飛び交う「暗号」「合言葉」の世界です。
「英語を話す」「ペラペラになる」という考え方の基準を
しっかりと持たないと、一生地獄が続くようなものです。
こういった独自のルールは、
新聞、ニュース、小説、ビジネスシーンなど、それぞれに存在します。
それぞれがそれぞれのルールを持っているので、
なかなかすべてをできるようになることは難しいのです。

「アカデミックな英語」と「日常英語」はルールが全く違うのです。大げさですが、別の言語と言ってもいいかもしれません。
その分野の独自のルールをしっかり勉強した人が、その分野だけはなんとか理解することができるのです。

音がつながる、一体化する 音がつながる、一体化する

聞き取ることができるようになるためには、ただただたくさん聞けばいいわけではありません。リスニングには文法のようにルールがあります。「リスニングのルールを知る」ということをもっと正確に言いますと「ネイティヴがどのように発音しているか?」「どのように発音を崩しているのか?つなげているのか?」などの「音の決まりを感覚的にではなく論理的に知る」ということになります。いくらたくさんリスニングをしてもこの理論を自分ひとりで解明していくことは難しいので、知る機会を持つことが必要です。むやみにリスニングの量をこなすだけではなかなか話せたり聞き取れたりならない理由の1つは、これです。逆に言うと、こういった「音のしくみ」を知ることですぐに聞き取れるようになることもしばしばあります。

数多くあるリスニングルールのうち、1つを例に挙げてみましょう。

英語は楽しい音のかたまりです。例えば、check it out は「チェキラ」もしくは「チェキダゥ」というように、3つの単語が「ひとカタマリ」で発音されます。複数の言葉がつながり、一体化し、音のひとカタマリとして使われ、それが3つの単語であることなど意識することなくブロックとして使います。

tekoではそれを「カタカナだんご」と楽しく命名しています。これは言葉を雑に崩しているのではなく、リンキングという口の都合で起こる現象で、それなりにゆっくり発音しても「チェ~キ~ダゥ」となります。口が言いやすいように変形させているので、スピードは関係ないのです。

難しい理論はさておき、結果としてこういった「ひとカタマリ」=「カタカナだんご」をいくつも持つと、大きな武器となります。このことを知らないと、話したり聞いたりするときに全く理解できません。知っている言葉同士がつながり、全く別の音になってしまうわけですから。

リスニングには知識量が必要 リスニングには知識量が必要

リスニングというと、たくさん聞けばよいように感じます。それは間違ってはいません。ただ実際は、それだけではなく、根本的な「知識のインプット量を増やすことが必要」です。上記のとおり、純粋な音だけでは理解できないことが多くあり、そのような音をたくさん聞いていても理解できません。音を崩す発音ルール、環境の雑音、個人の癖、たまたまそのとき舌がからんだ、など、さまざまな要因で「崩された音」を聞いて、予想・想像・類推して意味を理解することが重要になってきます。言葉は「野生の世界」のようなものです。さまざまなものが邪魔をし、音が崩れ、落ち着いた環境でわかりやすく展開してはいかない「荒くれもの」の世界です。音の一部だけを聞いて意味がわかるぐらいの「たくましさ」も必要になってきます。むやみやたらに多く聞くのではなく、リスニングのために知識量を増やしていくという意識が欠けていると上達していきません。情報量を増やすことでリスニングが上達するという視点を持ってみてはいかがでしょうか?

メンタルの問題 メンタルの問題

話せない理由は知識・技術的なこと以外にも多くあります。練習量が足りていないので、自信が持てません。欧米人、外国人に対する気後れ、コンプレックスがあります。相手が外国人でなくとも、人と対面して話すときには何らかのプレッシャーがかかります。

話すときに邪魔をするもの、頭をよぎって言葉の発信を躊躇させるものは

前置詞がわからない、動詞の変化がわからない、正しい発音ができない、口の筋肉が言いなれていない、外国人と面と向かうプレッシャー、文字や資料なしの不安感、すべてを頭の中で処理しようとする負荷、根本的な自信のなさ、漠然とした不安

など細かな事柄が一気に押し寄せきます。
内面のそういった問題のほかに、

周りの雑音や話し相手との相性、相手の滑舌が悪い、話し方に癖がある

など外側の要因もたくさん影響してきます。こんなに複雑なことを瞬間的に処理していくのが日常会話ですから、基礎が本当にしっかりしていないと困ってしまいますね。

脳の問題 脳の問題

英語は、(個人差はありますが)9歳以上から勉強するとネイティヴにはなれないと言われています。8歳までに、英語独特の空気の震え方、摩擦音、破裂音などを感じとる感覚(センサー)が脳の中に養成されるようです。ですから、大人になってからいくら勉強しても、そういった感覚的なセンサーは育成されていきません。日本人が感じ取れない信号で話しているのですから、理解することが難しいのは当然です。努力のできる選ばれた方は、そこへ理論的にアプローチし、並々ならぬトレーニングで克服してしまうのです。
そのようなすばらしい理想を基準にすることは危険です。そういった「感じ取れない感覚が多くあり、知識が不足している状態でも楽しんで話せる技術を身につけよう」という方向性がベターでしょう。RとLが聞き分けられた方がいいに決まっていますが、それができないことを前提としてそれでも会話ができる方法を身につけたほうが楽しめます。ものすごい訓練が必要なネイティヴ感覚の存在を認識しつつも、そこにとらわれすぎて挫折するのではなく、それをうまくかわしながら進めるのも非ネイティヴにとっては悪くないことだと思います。

動機が浅い 動機が浅い

あなたの「えいご寿命」はどれぐらいでしょうか?

中学卒業と同時に終了、大学入学で一旦終了、など、何年もやったのに少しも話せない、あの数年はなんだったんだろう?という方も多いでしょう。英語に限りませんが、ものごとは必要性が高いと上達していきます。学校でテストがある、受験があるという動機がある内は少しでもやりますが、そういった強制力がなくなった途端、続けるのが難しくなります。世の中にはテレビ、グルメ、ゲーム、おしゃべり、ショッピングなど、面白いことは他にたくさん存在します。それら口当たりの良い事柄と比べて、英語の勉強の優先順位はどのくらいでしょうか?

世の中の誘惑にはなかなか勝てません。人間は挫折する動物。少し話せたらいいな、カッコイイと思われたいな、あこがれるな、グローバルな時代だし英語ぐらいできないとな、といったそれほど深くない動機の方が多いのではないでしょうか?英語が絶対話せるようにならないと人生が終わる、という人の方が少ないと思います。

このように、通常は動機が浅いのです。

動機が浅いから、受験が終わったら英語なんて
やらなかったことのように忘れ去り、
数年後に思い出したように参考書を手にしても
短期間で挫折してしまいます。
最初はみなぎるようなやる気だったとしても、
英語の技術的な壁は非常に多く、
それを乗り越えるほどの必要性を持っている人は
なかなか多くありません。

「英語習得には膨大な時間と努力が必要という動かぬ事実」と「なんとなく必要という程度の浅い動機」。

これは勝負あったです。

tekoでは、そういった浅い動機を前提とした目移りしやすい人間を対象に工夫されたカリキュラムをご用意しています。同じ人でも日によってやる気は変わりますし、自分をコントロールできる人も多くはありません。弱い人間を出発点にしないと、長い目で見た本当の上達にはたどり着かないのです。

話せると思えてしまうほど身近 話せると思えてしまうほど身近

英語は言葉なので、ネイティヴの方々は普通に話せてしまいます。言葉なので、それを操れる人数も非常に多いです。日本語も話せることですし、がんばればできるだろうと身近に簡単に感じ、安易に考える傾向があります。

これが、楽器やスポーツの世界の場合はどうでしょう?プロやセミプロはもちろん、非常にうまい方は10年以上やっていることがざらで、特別な人でカッコイイですよね。子供の頃からやっている、大人から始めたが楽しいので折に触れてやっている、など自然に多くの量をこなせています。ピアノ、バイオリン、野球、サッカー、ゴルフのうまい人は、想像以上の練習・実践量を費やしています。到底そういった人たちにすぐに追いつこうなどとは想像できません。

それが英語になると、特別な道具を使うわけでもないですし、ネイティヴの方々をはじめ話せる人の数が多く、しかも特別な人間ではなく普通の人々ですから、「なんとなくできるのではないか?」と考えやすいのです。気楽に考えることは悪いことではありません。むしろ良いことです。ただ本当は、楽器やスポーツと同じくらいの遠い距離が存在します。

英語には多くの基礎鍛錬と練習量が必要ですから、安易な気持ちのまま進めていくと、想像してたよりうまくいかず挫折が待ち受けています。この「想像したより」という部分が重要です。思っていたことと違うから挫折をしてしまうのです。

「英語は楽器やスポーツと同様に基礎トレーニングが必要だし、時間もかかるけど、楽しみながら続ければ必ず上達する。気長にやっていこう」とうスタンス。

チャチャッと済ませて、すぐにペラペラ!になんてなりません。
みなさんも本当は気づいているはずです

語学に特効薬はないこと
発音(音読)が大切であること
量をこなすこと
長く続けること

挫折しないように「英語習得に必要な労力に対する最初の予想」を正確なものにして、明確な狙いで取り組めばマスターできます。

楽器やスポーツに置き換えて考えてみましょう。いきなりステージでコンサートを開催しよう、試合に出ようとはなりません。片手でドレミを弾く、音符の理解、すぶり、体力づくりなど、とても小さな基本から始めると思います。楽器、スポーツでも、基本をおろそかにした人は途中で上達がピタッと止まります。逆に言うと、プロフェッショナルになればなるほど、練習前のストレッチや基本的な技術練習に入念に取り組み多くの時間を費やしています。達人ほど基礎の大切さを理解しているのです。気楽に気長に、英語と向き合いましょう。

日本語との実力の落差ストレス 日本語との実力の落差ストレス

母国語の1万語以上の単語数、国内の背景知識、予備情報に比べ、圧倒的に浅くて乏しい英語全体の情報量。どれだけ効率的に学んでも、その落差を埋めることはできず、ストレスは一生つきまといます。「表現したい内容(日本語で話せる内容)」と「英語の実力の幼稚さ」の落差によるストレスで話せない・できない自分が嫌になり挫折してしまいます。ただ、その差はうまることはありませんので、最初から目標・到達点を「制限の中で楽しむ」とう方向に修正する必要があります。逆に、日本語では複雑に話してしまうことも英語だとシンプルになるので、かえって良いということも多くあります。英語は文の仕組みがシンプルで美しいので、「情報の少なさ」を利点にしてスッキリわかりやすく表現できることを目指してみてはいかがでしょうか?

話すことと聞くことの区別をしっかりしよう 話すことと聞くことの区別をしっかりしよう

英語を母国語としない方は、「話す英語」と「聞く英語」を区別する必要があります。そこを明確に区別することで、話すとき・聞くときの迷いが解消されていきますが、そこが整理されていないと混沌としたルールの中で迷子になってしまいます。

話すときはゆっくり丁寧に。聞くときはネイティヴのルールで。

1.話す英語

発音はネイティヴでなく不器用であることを前提に、うまくなくても伝わりやすいように丁寧に発音しましょう。

言葉は音が重要です。

相手に伝わるかどうかは、「相手が理解できる音」を出せるかどうか?です。こちらが勝手な音を出すと、相手にはまったく伝わりません。日本語で考えるとわかりやすいです。「寒いですね」のこ慣れた日本語「さみーっすね」。これを発音が下手な外国人に言われても、よほどうまくなければ理解できません。日本語が母国語でない人は自分の母国語の独特な口の動き方で話そうとしますから、日本語のようには発音されずに音がねじ曲がります。例えば「サゥミーッスヌ」。これを「寒いですね」「さみーっすね」とは理解できません。それよりは下手でもいいので「サ・ム・イ・デ・ス・ネ」とゆっくり丁寧に言われた方が伝わりますし、好感すら持てます。発音が下手であることを前提に、ネイティヴのような崩した話し方をせずに、日本人なりの丁寧さでゆっくり話すようにしましょう。

2.聞く英語

逆に聞くときは、相手のルールに合わせましょう。気の利く外国人と話している時は別ですが、通常はわかりやすい丁寧な発音でゆっくり話してはくれません。ドラマ、映画ではなおさらです。リスニングには文法のようにルールがあります。ただ、それを体系的・技術的にじっくり教えてくれる所はそれほど多くありません。tekoでは、容赦ないリスニングルールを最大限にかみくだいて楽しく伝えています。

要するに、話すときも聞くときも「相手のルールに合わせる」ことが大切でしょう。

話すときは「相手が理解できる音」を使い、聞くときは「相手が出す音のルール」を把握して聞く。「話す時と聞く時のルールが違う」ということが整理されていないので、漠然とルール全体を勉強し、話す・聞くに近づいていくことができないのです。

日本語でもできるのか? 日本語でもできるのか?

英会話ができないと悩んでいる方は多いですが、まず日本語でそれほど会話が上手なのか?話題は豊富なのか?ということの確認が必要です。日本語でできないことが、英語でできるはずもありません。英語の力を借りて積極的になる方はいますが、それでも別人にはなりません。英語の知識や技術以外にも、話すためにはさまざまな準備が必要になります。話題豊富で会話が上手な人間になるということは日本語でも簡単なことではないです。

英語の「高い理想」と「理想」そして「現実」 英語の「高い理想」と「理想」そして「現実」

英語を話せるようになるための理想と現実を把握しましょう。

高い理想

小さなころから海外で暮らす、留学する
海外スポーツ選手として高い必要性やサポート環境の中で過ごす(モンゴル人相撲取り、韓国人アイドルの方々の日本語力はすごいですね。)
外国人の恋人を作る
1日10時間ぐらい英語の勉強に費やして、英語圏で10年ぐらい過ごす
多読と音読を長期間実行する
まず英語の学習時間1000時間越えを目指す
英語を100万語読む

理想

例文を500覚える
電車の中で毎日リスニング
毎日単語を10個ずつ覚える
毎日早起きして90分勉強
ちょっとしたスキマ時間に積極的に勉強
寝る前の復習を欠かさない

なかなかできませんね。努力のできる、必要性の高い数%の選ばれた方々が実現可能なことでしょうか。上記のように、英語を
100%マスターする方法はいくらでもあります。

ただ、続かないことが問題なのです。「方法はある、でも実行できない」

わたしたちが抱える現実は

そもそも文を読み続けられない
うわべのやる気しかない
他の楽しいことを優先する、などなど
グータラな自分

といったところでしょうか。語学は、細かな方法論や技術論よりも、「長く続けること」が重要と言ってもいいかもしれません。どんなに非効率なやり方でも、長く続ければそれなりの力はついてきます。tekoでは、やる気にムラのある、なかなか自分をコントロールできない普通の方々を前提にしています。

日本語が便利すぎる 日本語が便利すぎる

歴史的な背景も重要になってきます。

明治維新の偉大な知識人たちが英語を几帳面に日本語に置き換え、すばらしい日本語体系を作り上げました。そのおかげで、日本人は大学で行う高等教育ですら母国語で進めることができます。それが当たり前なので、「それがどうしたの?」と思う方も多いかもしれませんが、海外、特に東南アジアでは母国語で教育の内容を十分に実施できず、英語で行われています。教育の過程で英語の必要性が高く、母国語の不自由さが英語の上達につながっています。

日本語という非常に便利で、英語を使わなくてもどのような教育も進められる言葉を持つ日本人が、無理をして英語を習得する必要性は、本当に必要としている国々に比べて低いことは当然なのです。日本で普通に暮らしてると「英語が話せないとここから先へ進めない!」という状況にはなかなかならず、高い必要性を避けて生きていくことができてしまいます。これは非常に恵まれた環境ですが、英語上達という観点からするとそういった環境の違いも妨げになっています。

まとめ まとめ

たとえるなら、英語は「熱々のスープ」で、日本人は「英語の猫舌」。たとえるなら、英語は「カタいカタい大きな肉のかたまり」で、日本人は「歯の弱った英語の胃弱」。飲めない、噛み切れない、消化できない。そのような現実を目の前にしても、絶望する必要は全くありません。tekoでは、そういった状況を1つ1つ解決、またはうまく「かわし」ながら、「現実的に上達」できる部分を集中的に楽しく進められるようなカリキュラムをご用意しました。

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